やまとは国のまほろば~『古事記』ゆかりスポット①奈良市内編 | 奈良 観光 | 奈良ぶら

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モデルコース
市367_平城宮跡(朱雀門遠望)AH02_011

やまとは国のまほろば~『古事記』ゆかりスポット①奈良市内編

天皇と国土統治の由来を記した『古事記』。天武天皇が稗田阿礼に古伝承を口承させますが、天武天皇が崩御。その後を元明天皇が継ぎ、太安万侶が編さんして712年に献上しました。神話時代~神武天皇誕生の上巻、神武天皇~応神天皇の中巻、仁徳天皇~推古天皇の下巻から成ります。奈良の地で描かれた壮大なスケールの物語をたどります。
モデルコース日程・・・日帰り  移動手段・・・徒歩  エリア・・・奈良市 

スタート
近鉄新大宮駅


徒歩で約18分

狭岡神社

狭岡神社

715年、藤原不比等が国家鎮護・藤原氏繁栄のために創建したと伝わります。鳥居をくぐったすぐ左に沙本毘売命(さほびめのみこと/狭穂姫)が姿を映したとされる鏡池があります。

垂仁天皇に嫁いだ沙本毘売命はあるとき、兄から天皇を暗殺して兄妹で天下を治めようとそそのかされました。思いとどまりましたが天皇が兄を討とうとしたため、天皇の御子を身ごもったまま兄のもとへ―。無事に出産しましたが、兄も自分も到底許されない身。せめて子どもだけはと天皇にわが子を託し、兄とともに死を遂げました。

母の愛。妹として兄を慕うきょうだい愛。そんな物語の舞台です。

〒630-8113 奈良県奈良市法蓮町609-1




徒歩で約7分

大山守命墓

大山守命墓

平城山(ならやま)丘陵にある大山守命(おおやまもりのみこと)のお墓。大山守命は応神天皇の皇子。皇位を狙って挙兵しますが、弟の宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)に返り討ちにされました。『古事記』には那良山にお墓があると記されています。

〒630-8113 奈良県奈良市法蓮町字境目谷1922




徒歩で約25分

磐之媛命陵(ヒシャゲ古墳)

磐之媛命陵(ヒシャゲ古墳)

磐之媛命(いわのひめのみこと/石之日売命)は、世界最大のお墓として有名な大阪府堺市の御陵で知られる仁徳天皇の皇后。嫉妬深い性格だったようで、天皇が他の女性と仲良くしているのに我慢できず、山代(京都)にこもってしまいました。天皇皇后夫妻のお墓が随分離れたところにあるのは、こうした事情に理由がありそうです。

宮内庁より磐之媛命の陵墓として比定されています。

水上池の北側に隣接し、水辺の豊かな自然環境はバードウォッチングの人気スポットにもなっています。

〒630-8003 奈良県奈良市佐紀町



徒歩で約30分

神功皇后陵

神功皇后陵

神功皇后は仲哀天皇(初代神武天皇から数えて14代目)の皇后です。天皇は遠征先の筑紫(福岡)で亡くなりましたが、そこで皇后は御子を産みます。御子を連れて大和へ帰ろうというとき、忍熊王(おしくまのみこ)が天皇の座を狙って挙兵することを知り、御子の安全を守るため、御子はすでに死んだと“偽ニュース”を流し、忍熊王を油断させ、皇后方の軍勢が打ち破りました。御子は後の応神天皇です。わが子に皇位を継がせたい皇后の母としての執念ともいえる愛情が感じられるエピソードです。

〒631-0803 奈良県奈良市山陵町



徒歩で約30分

平城宮跡

平城宮跡

710年、元明天皇が平城遷都を果たしました。元明天皇は天武天皇の正妃である、後の持統天皇の異母妹。皇位継承者の首皇子(おびとのみこ/後の聖武天皇)が幼かったため、天皇に即位しました。都を藤原京から平城京に遷した元明天皇は、天武天皇亡き後、止まっていた『古事記』の編さんを太安万侶(おおのやすまろ)に命じました。そして712年、ついに『古事記』が元明天皇に献上されたのです。

元明天皇が天武天皇の遺業を引き継がなければ、たいせつな物語がこうして現代に伝えられることがなかったかもしれません。

〒630-8577 奈良県奈良市佐紀町




徒歩で歩約30分

垂仁天皇陵

垂仁天皇陵

垂仁天皇から、常世国にある、ときじくのかくの木実を持ち帰るよう命じられた多遅摩毛理(たじまもり)。懸命に探し、ようやく見つけた果実を持ち帰ったとき、天皇はすでに崩御していました。多遅摩毛理は果実を御陵に捧げ、悲しみのうちに亡くなりました。

垂仁天皇陵のお濠の中に小さな島があります。垂仁天皇に寄り添う多遅摩毛理のお墓だともいわれています。

〒630-8023 奈良県奈良市尼辻西町11



徒歩で5分

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