徒歩で10分
『日本書紀』『万葉集』に登場する池。『万葉集』には、「みはかしを 剣の池の 蓮葉に たまれる水の行方なみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝そと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我は忘れじ ただに逢ふまでに」(作者不詳)と詠まれた歌があります。
古代の灌漑用水池として活用されたようで、現在は、北岸と西岸の一部に遊歩道と桜並木があり、東方の多武峰を望む景観は奈良県の景観資産に登録されています。池の南東部には、第8代孝元天皇の「劔池嶋上陵」(写真)があります。
推古天皇が遷都した小墾田宮(おはりだのみや)だと推定されてきた遺跡です。しかし、昭和45年の発掘調査で推古天皇時代の庭園跡であることが判明し、「古宮遺跡=小墾田宮」説はしぼんでしまいました。現在目に見える遺構らしい遺構は、一本の木が立つ土壇のみとなっています。
徒歩で3分
欽明13年(552年)に百済の聖明王が朝廷に献上した仏像(日本に初渡来した仏像:金銅釈迦仏と伝わる)が祀られたといわれ、「仏法根源の寺」とされています。境内および周辺の発掘調査によって、豊浦寺のものだとされる金堂、講堂、塔の跡が、また境内からは推古天皇が即位した豊浦宮の敷石とみられる遺構などが発見されました。敷石の遺構は一般公開されています。推古天皇やその摂政を務めた聖徳太子もここで見られる敷石の上を歩いていたのかもしれないと想像が膨らみます。
徒歩で6分
雷(いかづち)交差点のすぐ横にある、こんもりとした丘。『日本書紀』や『日本霊異記』に雷神が降臨する聖なる丘であったことが記され、柿本人麻呂は[大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも]と詠みました。この丘には、のぼることもできます。
推古4年(596年)に蘇我馬子によって建立された古刹。本尊の銅造釈迦如来坐像は、現存する最古の仏像で、「飛鳥大仏」と親しまれています。本堂に上がり、間近に拝観することができ、他に聖徳太子像なども安置されています。
徒歩で10分
飛鳥寺から西に見える丘。蘇我入鹿首塚を過ぎて、甘樫丘のふもとまでは徒歩10分程度で到着します。大和三山のうちの畝傍山や耳成山を含む橿原市内を眺望できる展望所までは上り道で、さらに時間がかかりますが、一望の価値あり。雑木林や四季の花々、下草などが茂り、歩けば森林浴気分が楽しめます。
徒歩で20分
甘樫丘から「亀石」や「天武・持統天皇陵」などに立ち寄りながら、極彩色壁画で有名な高松塚古墳へ。国営飛鳥歴史公園高松塚地区内にあります。県道209号沿いの駐車場(無料)から里山に整備された遊歩道を歩いて約7分、壁画のレプリカなどを展示する高松塚壁画館や、こんもりとした二重円墳の高松塚古墳に着きます。被葬者が判明していない古墳に残された1300年以上までの極彩色壁画。古代のロマンとミステリーが感じられるスポットです。
また、県道を挟んで北側にある国営飛鳥歴史公園館は入館無料(開館9:30~17:00※12月~2月は16:30まで)。飛鳥の史跡や歴史がアニメやジオラマで紹介されています。
¥
徒歩で10分