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天誅組・鳥ヶ峰古戦場(高取町)

幕末、奈良で挙兵した志士たち「天誅組」がいた。天誅組を敗走させた大砲が据えられた地。
写真提供:高取町

時は幕末。孝明天皇の大和行幸を控えた1863年8月17日、尊王攘夷派の志士たちが幕府直轄の五条代官所を襲撃し、武装蜂起しました。しかし翌日、幕府への攘夷委任を支持する孝明天皇らが、三条実美ら急進的な公家や長州藩を追放する政変が起き、天誅組と称していた志士たちは大義名分を失いました。

 

幕府から追討される身となった天誅組は、自分たちに「服する」としていた高取藩が翻意したのに対抗して、高取城攻撃のために進撃しました。高取藩は大砲を用いるなどして、天誅組を敗走させました。

 

これをきっかけに天誅組は吉野山中へ逃げ、各所で討伐軍と戦闘に。しかし劣勢は覆せず、9月24日、東吉野村の鷲家口での戦いで、総裁のひとり吉村寅太郎らが討ち死にし、天誅組は壊滅しました。

 

天誅組を攻撃した大砲が据えられたのは、現在の町役場の敷地内。そこに古戦場を示す石碑が建てられ、時代の激動を静かに伝えています。

 

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