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『大和名所図会』今昔めぐり ⑩元興寺 御霊社(巻之二)(関連スポット:元興寺)

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

10.元興寺 御霊社(巻之二)(関連スポット:元興寺)

 

現在のならまち一帯を境内に収めていた元興寺。今では見られない五重塔が堂々とそそり立っています。その手前にあるのが御霊社で、左に本堂を描いて俯瞰しています。本図会の題「元興寺 御霊社」の下には十輪院も描かれています。

 

御霊社とは祟り神を鎮めるお社です。すなわち鎮守社のことですが、なぜ、元興寺で祟り神を鎮めなければならなかったのでしょうか?

 

元興寺のルーツは飛鳥の地に蘇我馬子によって創建された法興寺です。それが平城遷都まもない養老2年(718年)、平城京域に移されて今の元興寺になりました。図会が描かれた江戸時代には、まだ五重塔が健在で、図会の解説文に「五重塔に大日如来を安置す」とあります。また、「昔この塔に鬼の棲みける由いひ伝へたり」と鬼の存在をにおわせているのも興味深いところです。

 

さて、平城京は、法興寺(元興寺)創建の蘇我氏を大化の改新で滅ぼした中臣鎌足の子の藤原不比等が遷都をけん引した都です。藤原氏は、蘇我氏など数々の対抗勢力を滅亡させて権力の頂点に立ちました。この経緯を思えば、藤原氏自身の安泰のためには、祟り神を鎮める必要があったといえます。実際、元興寺の御霊社の祭神は、藤原氏に謀反の罪をきせられて死に追いやられた井上内親王(聖武天皇の皇女)とその子・他戸親王です。

 

図会の左上には、「美しい女を鬼ときく物を元興寺(がごじ)にかまそといふは寺の名」という狂歌。きれいな女性は時に鬼に化けることもある、鬼はガゴジ(鬼退治の力を持つ元興神)にかまそ、と寺名の由来と鬼の伝奇がかけられています。

 

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