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『大和名所図会』今昔めぐり 27 栖軽逐雷(巻之五)(関連スポット:雷丘)

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

27.栖軽逐雷(巻之五)(関連スポット:雷丘)

 

ゴロゴロ、ピカッ、ズドン。黒い空に稲妻を走らせ、天地を震わせ、時に地上を襲うカミナリ。いつから言われ始めたのかわかりませんが、怖いものを順にあげると、地震の次、2番目に怖いとされるのがカミナリです。そのカミナリが題材になった挿図です。

 

右上に「栖軽(すがる)といふ人、(雄略天皇の)勅命を受けて雷をとらえんと~」とあり、栖軽という名の豪傑が雷神を捕まえようと、進行方向から突き刺してくる強雨のなか、馬にまたがって雷雲に立ち向かっていくシーンが描かれています。勇猛果敢ですが、雷を追うのに金属製の太刀を持っていては…と心配させられるシーンです。

 

現在の明日香村には雷(いかづち)という字(あざ)があります。信号のある交差点の北西角にこんもりとした丘があり、雷丘と呼ばれています。

 

『大和名所図会』の本文に目を転じれば、雷丘は「雷土村(いかづちむら)にあり」と記されています。当時、その名も!と言いたくなる村名があったようです。本文では『日本霊異記』を引用していて、栖軽は雄略天皇の「肺腑の臣なれば、帝に近く随身し」た人物だったようで、帝と后が大安殿にいるとき雷が天に走り、帝から「早く雷神を取りとめてきたれ」と勅命を受けました。馬に飛び乗り、追いかけましたが、なかなか捕まえられません。それでも栖軽は「虚空をにらまえて」追走。「雷終(つい)に豊浦里と飯岡の間にして落ちたりけり」。この時雷神が落ちたところが「今の雷丘とぞいひける」と記されています。

 

雷神が落下したのではなく、降臨したとして、雷丘を聖地とする見方もあります。この雷丘、散歩気分で歩いて登ることができます。

 

ところで、挿図の左上に書かれているのは、江戸時代の気象専門書『天文指南』の一節で、「雷は陽気にして火に属す。春夏は地気上り(略)地を照らして熱をなす時は雷あり」などと、雷が発生する仕組みを解説しているようです。図会のちょっとした記述や挿図のなかからヒントを探りだせば、江戸時代の科学者たちはそんなことまで認識していたのですか!などと驚嘆させられるようなトピックスが、『大和名所図会』にはちりばめられています。

 

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