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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ④ 牟佐坐神社(橿原市)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

④牟佐坐神社(橿原市)

 

大海人皇子を守護した生霊神

 

「むさにます」、あるいは「むさにいます」と読みます。近鉄吉野線の岡寺駅の西側、徒歩約2分に立地しています。高皇産霊神と孝元天皇をご祭神とし、『日本書紀』には生霊神の記述もあります。前回紹介した河俣神社(河俣神社の詳細はこちら)と同じく、大海人皇子を守護したことで知られています。

 

『日本書紀』によると、壬申の乱勃発の機運が高まっていた時期、「身狭社(=牟佐坐神社)に居る生霊神」が高市許梅(飛鳥時代の人物)に神懸かりをし、神武天皇の御陵に馬および種々の兵器を奉れば、大海人皇子を守護すると神託を下したとされています。

 

大海人皇子はもちろん、神託の通りに神武天皇御陵を参詣しました。そして、壬申の乱に勝利するのです。大海人皇子は守護の恩を忘れず、天武天皇として即位した後、同神社に神位を授けました。

 

現地を訪ねると、こんもりとした社叢が見え、鳥居前には立派な桜の木が植わり、春の満開時は壮観です。拝殿へ向かう階段は急ですが、段数は多くありません。拝殿前は広くありませんが、きれいに掃き清められていて、日々手入れされていることがうかがえます。

 

牟佐坐神社を参拝した後は、明日香村へ歴史巡りのウォーキングに出かけるのがおすすめです。近鉄岡寺駅から国道169号を渡り、そのまま道なりに約35分歩けば、聖徳太子ゆかりの橘寺や天武天皇が即位した飛鳥浄御原宮跡(飛鳥宮跡)などを見て回ることができます。

 

奈良の古代ロマン!飛鳥の里コース

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