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史跡大安寺旧境内 東塔跡基壇・西塔跡基壇(奈良市)

がん封じで有名な大安寺お参り後の立ち寄りスポット。かつて壮大にそびえていた2つの七重塔を想像してみてください。

大安寺の起源は、聖徳太子創建の「熊凝精舎」や日本初の官寺である「百済大寺」にさかのぼると言われています。若かりし時代の空海も大安寺で学びました。南都七大寺のひとつに数えられ、がん封じや笹酒でも広く知られています。

 

この大安寺はかつて壮大な伽藍を誇っていたことがわかっており、それを象徴するのが「東塔」と「西塔」です。東塔は鎌倉時代に、西塔は平安時代中期にいずれも焼失してしまっているのは残念ですが、両塔とも七重塔だったと考えられています。

 

両塔の規模・構造は同じであり、基壇は一辺約21mの正方形で、初重(一階)は一辺12m四方であったことが発掘調査で明らかになりました。興福寺に現在も立つ五重塔の初重は一辺8.25m。大安寺の東塔・西塔がいかに壮大なスケールだったかが想像できます。

 

現在、「史跡大安寺旧境内」に東塔跡基壇、西塔跡基壇が整備されていて、どちらの基壇にものぼることができます。若草山や春日山を望む東塔跡基壇には側柱の礎石のひとつが、生駒山系を望む西塔跡基壇には心礎(心柱の礎石)が現存しています。東塔跡基壇には心礎や四天柱礎石も復元されています。

 

また、西塔跡の発掘調査では大小2種類の風鐸(ふうたく)が出土しました。小型の風鐸は長さ約30センチで、完成形としては南都七大寺では初めての出土でした。大型の風鐸は破片のみの出土ですが、長さ45~55センチほどで、塔の軒隅に吊られていたと考えられます。

 

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