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『大和名所図会』今昔めぐり 21 天霊神故事(巻之四)(関連スポット:長谷寺)

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

21.天霊神故事(巻之四)(関連スポット:長谷寺)

 

描かれているのは、雷神が雷雨烈風を巻き起こし、村の人々を右往左往させている場面。道端で遊んでいた子どもたちはおもちゃを放り出して家へ駆けこむわ、その際に障子戸を押し倒すわ。駕籠屋は客が転げ落ちるのも構わず、一目散に避難しようとしているし、風呂釜ほどもある大きな桶に身を隠して様子をうかがう人もおり、てんやわんやだったことが見て取れます。

 

左上に地主神の滝蔵権現を讃える霊文が「菅公神作霊文」として記されています。「菅公」とは、ご存知、菅原道真のこと。道真は平安時代の公卿・政治家・学者として活躍しましたが、謀反の疑いをかけられて筑紫国大宰府に左遷され、現地で没しました。道真の死後に京都で落雷天災や藤原氏一族の変死が相次ぎ、道真の怨霊と畏れられたことから、道真の霊が天満天神や雷神に結び付けられるようになったようです。

 

道真=天神の信仰は全国各地に広まり、桜井市にある初瀬の山にも道真を祭神とする「與喜天満神社」があります。図会の本文は與喜天満神社について次のような故事を紹介しています。

 

初瀬の里に武麻呂という名の「一生不犯酒肉五辛を断じ、当寺に住して難行を宗とし、佛道を信ずる俗人ありけり」。あるとき、武麻呂の夢に出てきた老翁に似た客俗が家の前に座っていました。

 

武麻呂は夢に見た人だと接待したところ、天を雲が覆い、それが晴れたとき、老翁が「我は是右大臣正二位天満天神菅原の某なり。此山に居をしめて大聖に値遇し、三熱の苦を免れんと思ふ」と言いました。地主神の滝蔵権現は「われむかしより此山の地主として、初瀬の川上に居せり。(中略)今より君にゆづり奉る。永くこの山の地主となり給へかし」と答えたといい、ここに道真が坐したということのようです。

 

また、本文には「天満天神即雲に乗じ、俄に雷神に現し、松の本に至り給ふ」と記され、天神が腰を掛けた石が「長谷の町の東頬の北にあり」、さらに、「天神に三寸を奉りし石は、二王門の内に今あり」とガイドされています。長谷寺参りの際に探してみるのも一興です。

 

現在、ゆかりのあるものとして、與喜天満神社のほか、長谷寺の寺領として伐採が禁じられていたことで原生林が残され、国の天然記念物に指定されている「与喜山暖帯林」があります(写真:桜の奥に見える山)。
初瀬というと、長谷寺だけをお参りして帰る人も多いでしょうが、足を少し延ばせば、菅公の霊験に触れられるかもしれません。

 

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