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隆光大僧正墓碑(奈良市)

東大寺大仏殿の再建など「天平文化の再現者」として尽力した大僧正の墓碑

世界遺産・東大寺にある現在の大仏殿は、江戸時代、1709年に再建されたものです。その再建に至るまでには次のような物語がありました。

 

時はさかのぼり、1567年、松永久秀と三好氏による戦乱が発生しました。この戦いで、松永久秀の多聞城に近い東大寺も戦場となり、大仏殿など中心伽藍のほとんどが焼失してしまいました。大仏様の頭部までも損失したこの一件は、東大寺大仏殿の戦いともいわれています。その後、大仏殿は再建されることなく、大仏様は約120年以上も雨ざらしにされました。

 

露天下にある大仏様を見て嘆いた公慶上人は大仏殿再建を決意。江戸幕府の許可を得て、勧進のため全国行脚に出ます。このとき、時の将軍・徳川綱吉とその母桂昌院に援助を願い出るなどして公慶上人を助けたのが、隆光大僧正(1649-1724)です。

 

師は、大和佐紀村の出身で、江戸神田橋に護持院を興すなど、将軍綱吉の篤い帰依を得ていました。故郷奈良の元禄の大仏殿再建をはじめ、多くの神社仏閣の復興再建に尽力し、顕彰碑には「天平文化の再現者としての恩徳を後世に残した」と記され、称賛されています。晩年、師は故郷の佐紀に戻り、超昇寺の寓居にて天寿を全うしました。

 

平城宮跡の第一次大極殿のすぐ北側、“ウラ大極殿”と言っていい場所に、師の霊が眠る墓があります。その墓域は1978年に整備され、遺徳を顕彰する碑が建てられています。


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