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『大和名所図会』今昔めぐり 32 吉野山 千本桜 日本が花 あらし山(巻之六)(関連スポット:吉野山)

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

32.吉野山 千本桜 日本が花 あらし山(巻之六)(関連スポット:吉野山)

 

吉野山。そう聞いて思い浮かべるのは、山そのものの姿よりも、桜景色だという人の方が多数を占めるのではないでしょうか。桜は吉野、吉野は桜。大和名所図会の本文にも「さくらは吉野に名だかく、よしのは櫻にて名を挙げたり」と書かれています。

 

大和名所図会は吉野山を「一名金御嶽、又名金峯山、又名國軸山」と紹介。吉野山の桜は今も昔も多くの花見客を酔わせたようで、「吉野山の花見」「吉野山 六田」「吉野山 千本桜 日本が花 あらし山」「袖振山」「吉野の花」などの挿図に桜が描き込まれています。要するに、吉野山は“桜まみれ”なのです。

 

吉野山の桜花見を世に知らしめたのは、豊臣秀吉が文禄3年(1594年)に主催した花見です。秀吉は大阪城を2月25日(旧暦)に出発し、吉野山に同27日(同)に到着。その2日後に花見の大宴会を開催しました。同時に歌会も行われ、徳川家康、前田利家、伊達政宗、宇喜多秀家といった豪華な顔ぶれでした。

 

今回紹介する「吉野山 千本桜 日本が花 あらし山」は、筏が行き交う吉野川を手前に、奥の峰々まで、広がりと奥行きのあるスケールで繚乱する桜を描いています。着色されたものを見てみたいと思わずにはいられません。

 

右上には「千本桜(ちもとのさくら)」「日本が花」「あらし山」といずれも満山桜となった吉野の美称が記されています。千本桜は「長峯より一目に見る櫻をいふ」とあり、「日本が花」は七曲からの桜花風景を呼ぶようです。

 

江戸時代初期の歌人・俳人の安原貞室は「これはこれはとばかり花の芳野山」と、これはこれはとしか言葉か見つかりませんと言わんばかりに詠みました。これに対し、かの松尾芭蕉は「われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとぢたる、いと口をし」と紀行文に書いています。すなわち、あまりの見事さに「何も言えねえ」と言っているわけです。

 

さらに、大和名所図会本文は、

 

・そもそも吉野山は満山櫻樹にして、花時には積雪の朝の如し。
・麓より奥の院まで、左右の山々、前後の谷々、ただ雲を攀ぢ上り、ただ雲をくだるが如し
・春此山に上り、いづれか花の盛ならぬ所はあらじ。

などと、ただただ、吉野の桜を激賞しています。

 

吉野山の名誉のために書いておくと、吉野山は、桜だけの山ではありません。世界遺産や国宝、神話や歴史の舞台、桜があるということは新緑も紅葉もあり…と、見どころや訪れるべき時期はあれやこれやと多々豊富にあります。

 

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