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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑲ 比賣神社(奈良市)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

⑲比賣神社(奈良市)

 

父と夫が戦った壬申の乱に翻弄された十市皇女を祀っています。

 

比賣神社は「ひめかみしゃ」と読みます。父(大海人皇子)と夫(大友皇子)が戦った壬申の乱で、薄幸な運命をたどった十市皇女(とおちのひめみこ)をお祀りしています。

 

十二神将像で有名な新薬師寺の石塀の前にある小さな神社です。西へわずか10mほど離れた鏡神社の摂社で、元は十市皇女が埋葬されていると言い伝えられてきた「比賣塚」がありました。

 

十市皇女は、父が大海人皇子(天武天皇)、夫が大友皇子(天智天皇の子)。叔父・甥の関係にある2人の皇子は、672年の壬申の乱で剣を交えます。父と夫が敵対し、多くの豪族や兵を巻き込みながら古代日本最大の内乱を戦い、十市皇女の悲痛の思いはどれほど大きかったことでしょう。

 

壬申の乱は大海人皇子が勝利し、大友皇子は自害。夫亡き後、父のもとへ引き取られた十市皇女は、678年、当時飛鳥にあった宮中で急逝しました。これも古代に起きた悲劇のひとつでしょう。

 

小さな境内には、男女が幸せそうに寄り添う石彫の像があります。大友皇子と十市皇女でしょうか。鳥居横に掛けられている絵馬には「良縁」の文字。歴史上は悲劇の夫妻かもしれませんが、睦まじかった大友皇子と十市皇女の仲にあやかろうと、「良縁」を求めてお参りする人が少なくありません。

 

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