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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑳ 天武・持統天皇陵(明日香村)【最終回】

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

⑳天武天皇・持統天皇陵(檜隅大内陵)(明日香村)

 

律令国家形成を成し遂げた天武天皇・持統天皇が夫婦で眠る。

 

天武天皇とその皇后で後の持統天皇を夫婦で合葬した墳墓です。
奈良県公式観光サイトによれば、直径は50m、高さは6.36mあります。

 

全長約7.5mの横口式石槨の中には、天武天皇の棺と考えられる漆塗り木棺と、持統天皇の火葬骨を納めたものとされる銀製の蔵骨器があったといわれています。

 

被葬者が明らかな古代の墳墓はほとんどなく、本陵の場合、鎌倉時代に盗堀された時の記録が残されていたことから、被葬者が天武天皇・持統天皇であることが確実になりました。

 

律令国家をつくるという壮大な夢を掲げた天武天皇。夫の遺志を継ぎ、それを成し遂げた持統天皇。今も夫婦仲良く同じ陵墓で眠っています。

 

最後に、天武天皇・鸕野讚良皇后(のちの持統天皇)と皇子たちに関するエピソードを紹介します。

 

679年、天武天皇と皇后は草壁皇子、大津皇子、高市皇子、忍壁皇子、川島皇子、志貴皇子を集め、天皇皇后の子である草壁皇子を次の天皇にすること、6皇子がお互いに助け合い争わないことを誓わせました(吉野の盟約)。

 

6皇子のうち、川島皇子と志貴皇子は、天武天皇の兄である天智天皇の子であり、すなわち、壬申の乱で戦った大友皇子の異母弟であるところが興味深いです。

 

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑲ 比賣神社(奈良市)
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