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『大和名所図会』今昔めぐり ⑭鑑真和尚佛舎利を龍神に與ふ

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

14.鑑真和尚佛舎利を龍神に與ふ(巻之三)(関連スポット:唐招提寺)

 

鑑真は唐より招来した高僧で、東大寺に戒壇を設けて聖武天皇らに戒を授け、また戒律道場としての伽藍=唐招提寺を創建しました。当時、唐から日本への渡航は至難を極め、鑑真も何度となく荒波に行く手を阻まれました。それでも不屈の精神で渡航に挑み、天平勝宝5年(753年)、6度目の航海で来日を果たしました。ときに鑑真66歳。不退転の決意が通じたのです。

 

絵は、日本へ帰る遣唐使船の鑑真一行。右上に「鑑真和尚、遣唐使船にて来朝したまふ時、竜神仏舎利を望みしかば、すなわち与え風波を鎮めたまふ」の意の文があります。船内でうつぶせる人、甲板では帆柱にしがみつく人、尻もちをついてひっくり返る人など、風雨に翻弄される人々が描かれるなか、船首に立ち、嵐を鎮めるために波濤に現れた龍神と対峙する鑑真の姿が描かれています。

 

図会の本文には、鑑真が「竜神が仏舎利を欲するならあたえよう。仏法を伝える旅のために手放すのは惜しくない」と大切な仏舎利(釈迦の遺骨)を海に投げ入れた-とあります。そのおかげで海は鎮まり、残りの海路は竜神が守ってくれたのか、念願叶って無事に日本に到着しました。

 

そもそも、唐で約4万人ともされる多数の弟子に授戒したというほどの高僧・鑑真がなぜ日本に渡ろうと決意したのでしょうか。

 

仏教では「戒」を受けなければ僧になることができません。戒はそれを授けることができる高僧から受けます。その肝心の存在が、当時の日本には一人もいなかったのです。そんな事情から、鑑真は遣唐使留学僧の栄叡や普照らの要請にこたえたのです。

 

大和名所図会の筆者・秋里籬島は、鑑真創建の唐招提寺を「(建立から)今一千二十余年に至るまで炎上の災なし。一度も作りかへず。古代の伽藍にして世に類ひなき梵刹なり」と絶賛しています。ただし、唐招提寺の戒壇院は地震による倒壊、再建されたものも焼失し、現存していません。「一度も作りかへず」は、平城京の朝集殿を移築した講堂と金堂で、ともに国宝として大切に守られています。

 

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