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『大和名所図会』今昔めぐり 29 多武峰本社(巻之六)(関連スポット:談山神社)

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

29.多武峯本社(巻之六)(関連スポット:談山神社)

 

紅葉の名所として知られる談山神社が今回の舞台です。
多武峰(とうのみね)は、大化の改新の発端となる「乙巳(いっし)の変」の計画が、中大兄皇子と中臣鎌足によって話し合われた場所で、それ以前から霊峰とされていました。大和名所図会の本文には「十市郡にあり。峯高く聳(そび)え、草樹鬱蒼(うっそう)として幽遂の地なり。」と紹介されています。その山中で2人が蘇我入鹿を討たんと談義したことから、談山(かたらいやま)と呼ばれるようになり、それが現在の「談山神社」に受け継がれています。

 

図会では、寺院(談山妙楽寺護国院)と神社(聖霊院)が一体化した堂塔を俯瞰しています。明治の神仏分離令で神社のみが残り、それが談山神社です。妙楽寺は、興福寺と仲違いをしていたのか、図会本文に、興福寺衆徒に攻められ、天仁元年(1108)と承安三年(1173)に炎上したと書かれています。その妙法寺を創建したのは、鎌足の子・定慧和尚で、一方の本社を建立したのは定慧の弟・藤原不比等です。2人の父である鎌足は、この地で「神」として祀られました。

 

挿図に戻りましょう。中央奥に本社、左に十三重塔、文珠堂があり、右には大日堂も確認できます。十三重塔は飛鳥時代の白鳳7年(678年)創建と伝わり、現在の塔は室町時代(1532年)に再建されたもの。木造の十三重塔としては世界で唯一現存する塔です。鳥居から本社へ長大な階段が続き、本社の奥には御破裂山がそびえます。

 

挿図の最下部、境内手前を横切る参道には石燈篭が並び、帯刀する人、杖をついて歩く人、荷を担いでいる人、ほうきで道を掃いている人が描かれています。ほうきを手にする人は境内にも複数いて、お参りに来た人を「ようお参り」と歓迎したり、境内を掃き清めて美観を保ったりしたのでしょう。

 

こうして見せられると、壮大なスケール感が伝わってきます。実際に談山神社を訪れたことがある方は、この図と現在がほぼ変わっていないことに気づくはずです。

 

紅葉のイメージが強い談山神社ですが、桜や新緑の季節も美しく、拝観におすすめのシーズンです。また、中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠の会で出会った故事にちなみ、談山神社では毎年春と秋に「けまり祭」が行われます。

 

談山神社の情報はコチラです。
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