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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑰ 飛鳥浄御原宮(明日香村)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

⑰飛鳥浄御原宮(明日香村)

 

大海人皇子が「天武天皇」として即位した宮

 

大海人皇子の軍勢は、大伴吹負らの活躍で大和から朝廷軍を一掃しました。これにより、戦いの舞台は琵琶湖畔へと移ります。

 

まず、不破・野上(現在の関ケ原町)から村国男依(むらくにのおより)の部隊が西へ向かい、今の彦根で、次々と朝廷軍を撃破しました。大海人皇子軍は琵琶湖の東岸を南進し、野洲付近でも朝廷軍を退散させました。

 

壬申の乱の終盤、最大の決戦地となったのは、大津市の瀬田です。瀬田橋(瀬田の唐橋)を挟み、大海人皇子軍の村国男依らと朝廷軍が対峙。弓矢が無数に飛び交う大激戦になりましたが、大海人皇子軍の兵のひとりが敵陣に突撃し、これを機に形勢は大海人皇子軍に傾きました。

 

朝廷軍は総崩れとなり、“総大将”の大友皇子は自害。壬申の乱は戦端が開かれてから約3週間で、大海人皇子軍の勝利で終結を迎えました。

 

672年秋、大海人皇子は飛鳥に戻り、施政の準備を整えていきます。翌673年2月、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)で、大海人皇子は「天武天皇」として即位。天武天皇は、それまでの「大王」(おおきみ)から「天皇」という尊称を使った最初の“王”となりました。

 

天武天皇は、藤原京の造営や国史『古事記』『日本書紀』編纂、飛鳥浄御原令(日本最初の律令=国家の基本となる法体系)の制定などに着手しますが、志半ばの686年秋、逝去しました。これらの大事業は、妻である鵜野讃良皇女(持統天皇)の治世に実現しました。

 

天武天皇と持統天皇が即位した飛鳥浄御原宮は、奈良県明日香村飛鳥に伝承地がありますが、近年の調査研究で、明日香村岡の伝飛鳥板蓋宮跡ではないかと考えられています。

 

飛鳥宮跡、飛鳥京跡苑池遺跡などに立ち、平らかな飛鳥の地を一望すると、天武天皇らも見たであろう風景に思いをはせることができます。ここを訪ねるおすすめの季節は、春。飛鳥川沿いに並木をつくる桜や花桃、菜の花が見ものです。

 

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