孝謙天皇は749年に即位し、758年に譲位するも、764年に重祚して770年8月まで称徳天皇として在位しました。父は「奈良の大仏」で親しまれる東大寺廬舎那仏像建立の詔を発した聖武天皇、母は藤原不比等の娘で、悲田院・施薬院など慈善事業に尽力した光明皇后です。自身は生涯独身でした。
聖武天皇から譲位されて孝謙天皇が即位した749年に大仏の鋳造が終わり、続いて、752年には開眼供養会が行われ、参列者は1万人を優に超えたとされています。
電車で近鉄「奈良」駅から2駅「大和西大寺」駅下車、徒歩約5分
764年に重祚した称徳天皇時代、奈良に限らず各地の有力な大寺に行幸し、仏教重視を前面に押し出しました。西大寺は重祚して称徳天皇となる直前に四天王像の造立を発願したことが起こり。称徳天皇として即位後の765年に創建されました。称徳天皇が重用していた僧・道鏡は政治的にも力を持ち、西大寺も道鏡の意向が影響したと言われています。
称徳天皇は、東大寺に対する西大寺の拡張にも努め、西大寺は薬師金堂、弥勒金堂、東西2基の五重塔など、壮大な伽藍を誇っていました。奈良時代の名残として、東塔跡、西塔跡、四王堂にある四天王立像が踏みつける邪鬼などがあります。また天皇の歌が刻まれた石碑もあります。
徒歩で約9分
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710年に遷都された平城京の中で、大極殿は天皇に関係する重要な儀式等が行われた宮殿です。都は740年に恭仁京へ遷都されます。それとともに大極殿も移築されました。平城宮の“大極殿跡”には、西宮といわれる宮殿が建てられ、孝謙天皇(称徳天皇)はここに住みました。そして770年8月、西宮寝殿で崩御しました。現在立つのは2010年に復原されたものです。
徒歩で約12分
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